最近は散々な毎日すぎて、このふた月の出来事を記録として残したいけれども書く気力がない。なので、今日考えていたことを書き留める。死んだらすべてが無くなってしまう、存在が消え去ってしまう、というのはちょっと違うんじゃないかなと思った話。
1)質量保存の法則で、CとHとNとOで構成された自分の体が、死んで焼かれて無くなったように見えても、CO2やH2O、N2として大気中にばらまかれるだけで、原子の世界で考えれば、何かが消えてなくなったりしたわけではなく、原子の結びつきが変わっただけ。自分を構成していた原子はこの地球上に存在している。
2)意味の世界においても、死んで存在しないことが、この世からの消滅だとは思えない。存在していることは、それだけで大きな意味を持つし、存在を外部にアピールする。しかし、存在しないことも大きな意味を持つことが多々ある。母親が死んでいなくなったことが私たち家族それぞれの人生に大きな影響を与えている。断捨離してきれいな部屋は、部屋がきれいで何もないという一点で存在価値を持つ。1億円の札束が手元になければ、外から災いを呼ぶことなく平和に暮らしていける。
3)私たちはそれぞれの環世界で生きていると言われる。同じ地球上に暮らしていながら、人間は人間の、ミツバチはミツバチの世界と論理で生きている。ある種のパラレルワールド、多次元世界。死んでいなくなったように見えても、違う世界に移るだけなんじゃないか。だからこそ非存在がここまで重くのしかかってくる。ゼロになって羽毛よりも軽くなって消えてしまうことはない。
たまたま今日の自分がそう思っただけで、ほかの人はそう思わないだろうし、明日の自分もそう思わないかもしれない。ただこんなことを考えてしまうくらい、日々に絶望しているという記録になるかと思って。