ひとり言

母の一周忌

母の一周忌を、弟はコロナでタイから帰国できず、父と僕と奥さんの3名で、こぢんまりと執り行った。母の遺言に従い、葬式以来、施主は僕がやっているが、母がお世話になったいとこ家族くらい呼ぶべきだったと少し反省している。今では母のことを思い出すことはほとんどない。母の愛情も、有形無形の援助も限りなく受けてきたはずなのに、ずいぶんと薄情なもんだと思う。

母が存命のころを思い出すと、この十年くらい、しんどかったなあという印象が強い。ずいぶんと振り回されたので、できるだけ関わらないようにしていたけど、それでも家族だからできることはやってきたつもり。僕は家族の中ではなぜかしっかり者という立ち位置なので、父、母から、毎回答えの出ない堂々巡りの打ち上げがあって、それを正面から聞き続けるのは疲弊し、辛く、悲しい気持ちにもなった。

母は一家の精神的な大黒柱として取りまとめていたので、母が亡くなってから家族はバラバラに気ままな生活をしている。もし母が存命だったらどうなっていたんだろうと思うと、やっぱり母の影響力(=愛情)というのはとても大きく、それに大なり小なり振り回されたんだろうなとは思う。でも弟も僕も仕事をやめているから、もっと母と一緒に過ごすことはできたし、それが母の気持ちを少しでも和らげられたかもしれなく、僕の思い出も美しいものに上書きされたかもしれず、もっと生きていてほしかったと思う。