ピケティ著21世紀の資本を読み始めました。読んだそばから忘れるのが僕の特技ですが、格差論の嚆矢となったこの本はしっかりと記憶にとどめておきたいので、ある程度読み終わったらまとめてブログにアップしていきたいと思います。
はじめに
この本の論点は「18世紀以来、富と所得がどう推移してきたかについて、本当にわかっていることは何だろうか、そしてその知識から、今世紀についてのどんな教訓を引き出せるだろうか。」
この本の結論は「富の分配史は政治的なもので、経済メカニズムだけで決まらない。特に1910年以降の格差低減は戦争の結果と政府が採用した政策の結果」「格差拡大を止める自然で自発的なプロセスなどない」「格差拡大の力①大企業の経営者たちのように、労働所得が一部で爆発的に高くなった。② r(資本収益率)>g(経済成長率)。」
富の分配に関する社会科学研究の歴史・・・富の分配の話をするときは、いつも政治がその背後に控えているし、その時代の階級的な偏見や利害から逃れるのは難しい。
1798年マルサス「人口論」、1817年リカード 地価と地代の長期的な推移と希少性の原理。1867年マルクス「資本論」工業資本主義の力学と無限蓄積の原理。1955年クズネッツ、初めての客観的データを使用、クズネッツ曲線は政治的意図。
イギリスとフランスの金融と貿易の第一次グローバリゼーション(1870-1914)は現代のグローバリゼーション(1970-)と多くの点で似ている。アメリカは人口が100倍になり、国土が広がったため、格差構造や格差観が風変わりで、アメリカの事例を一般化できない。
第1部 所得と資本
第1章 所得と産出
所得について
国民所得=国内生産+外国からの純収入
- 国内生産(国内産出)=GDP-資本の減価償却=GDPの90%。GDPは国内でその年に生産された財やサービスの総量
- 外国からの純収入・・・海外に資本を持つ国は利潤や賃料を所得として受け取るので加算する
国民所得=資本所得+労働所得
- あらゆる産出は、給与等として労働所得で支払うか、配当や賃料などとして資本所得として支払うかのどちらかになる。
資本について
国富=国民資本=国内資本+純外国資本
- 国富はある国で政府や住民が所有しているものすべての総市場価値で、土地、住宅などの非金融資産と金融資産から負債を引いたもの
- 純外国資本・・・その国がほかの国に対して持っている資産とその国の中で他国の市民が所有している資産との差
資本/所得比率
国民所得の中で資本所得の占める割合(α)=資本/所得比率(β)x資本収益率(r)・・・資本主義の第一基本法則。今日の先進国の資本/所得比率は500~600%で、ほとんどが民間資本となる。資本収益率は大体5%くらい。そうすると、αは30%となる。
ヨーロッパもアメリカも極めて格差の大きい二つの地域に分解できる。すさまじく発展した中核(EUと北米)と、発展の遅れた周縁部(ロシアと中南米)だ。
購買力平価で計算すると、世界の格差は一人当たり所得が月額150ユーロの地域(サブサハラアフリカ、インド)から上は2500ユーロの地域(西欧、北米、日本)と10倍以上の開きがあり、世界平均は中国の平均とほぼ同じで月600ユーロだ。
一人当たり産出が高い国は同時に他の国の資本も持っており、低い国から所得フローの一部を受け取るから、一般的に世界の所得分配は産出の分配よりも格差が大きい。実際は外国からの純所得はGDPの1~2%程度と低い。日本、ドイツは2~3%。
大陸ブロックで見ると、富裕国と周縁国のプラスマイナスで相殺されるから、ヨーロッパ、アメリカ大陸、アジアはそれぞれ均衡(0.5%程度)に近くなる。唯一の例外がアフリカで、資本のかなりの部分が外国人に所有されていて、アフリカ人の所得は大陸全体の産出より5%低い。
富裕国が国内貯蓄の一部を貧乏な国に投資するのは、富裕国は多くの投資収益を得られるし、貧困国は生産性を上げて富裕国とのギャップを詰められるから、格差縮小の良い影響を持ち得る。しかし、一人当たり産出の収斂をもたらすかもしれないが、貧困国は外国人に高い資本所得を払い続ける必要があるため、一人当たり所得の収斂を意味しない。
歴史的に、資本モビリティが富裕国と貧困国の収斂を促進する主要な要因ではない。日本、韓国、台湾も巨額の外国投資の恩恵を受けていない。物理資本と人的資本への投資を自前で賄ってきたことが大きな要因。
第2章 経済成長
21世紀には低成長時代が復活するかもしれない。過去、例外的な時期か、キャッチアップが行われているとき以外では、経済成長というのは常にかなり低かった。あらゆる兆候を見ると、経済成長、少なくとも人口による部分は将来はもっと低くなる。
累積成長の法則。年1%の人口増加は30年で1.35倍、100年で2.7倍になる。2%で1.81倍、7.2倍になる。年1%以上の増加率は果てしなく持続すればめまいがするような人口増をもたらす。北米、欧州、日本が過去30年で見せた一人当たり産出の成長率は1~1.5%だが、人々の生活は大きく変化した。一人当たり産出が30年で35%増えるということは今日生産されているものの3分の1が30年前には存在せず、職業や仕事の3分の1がなかったということ。
人口増加が大きいと格差低下につながりやすい。子供が多ければ相続財産の重要性を引き下げる。一方、横ばいの人口または経済停滞中だと、先代が蓄積してきた資本の影響は高まる。過去の資本優勢社会では階級が相続財産で決まるが、これは低成長社会でのみ台頭して持続する。
経済成長がゼロか小さいときは、経済機能や社会機能や専門活動は世代ごとに変化なしに再現され続ける。絶え間ない成長は新しい機能が絶えず作られ、どの世代でも新規技能が必要とされる。個人の社会的モビリティが高まることで格差の再生産は制限される。
ヨーロッパでは1940-1970年代の経済成長が異様に高かった「栄光の30年」にノスタルジーを抱いてきた。その後の失われた30年がいつか終わり、昔のように戻ると信じている。歴史的に見ると戦後の30年が例外的な時代だった。単に1914-1945年でヨーロッパは米国に大きく後れを取り、栄光の30年でそれに追いついただけ。追いつき終えたらゆったりしたペースに減速するのは最前線の経済の特徴。1945年-の国家介入主義も1980年-の経済自由化もほとんど経済成長に影響はなかった。
経済成長の2つの釣り鐘曲線を足し合わせると、世界の総産出成長率が得られる。1950年までは年2%未満、1950-1990年は4%に飛躍、1990-2012年は3.5%以下、このまま2030年まで続き2030-2050年には3%以下になる。
インフレは20世紀の事象で、戦前までインフレはゼロかそれに近かった。戦争により1913-1950にかけてフランスのインフレは年13%、ドイツは年17%だった。安定した通貨参照点が20世紀に失われたのは、それまでの世紀からの大幅な逸脱である。