ひとり言

父の介護フロア引っ越しにあたって感じたこと

父の退院後に住むことになる、シニアマンションの介護フロアの説明を聞いてきたら、元いた自立タイプの部屋に戻してあげたほうが良いのではないかと、父親に申し訳ない気持ちにすらなった。やさしい言葉とあたたかなサービスで彩られているけれど、これは現代の姥捨て山だ。

外出したり、食堂で食べたり、ある程度の自由がきく生活なのかと思っていたら、介護フロアから出ることは基本的にできず、食事も三食、介護フロアで食べることになる。自由が制限され、ほとんど病院にいるのと変わらないとすら思える。好きなものを買いに行ったり、外食したり出来れば、本人の気持ちも前向きになるのではないかと思っていたけれど…

しかし、介護フロアはベストではないがベターな選択であることは間違いない。入院生活を経由したことで、介護フロアの生活もスムーズになじめる。もし自立の部屋に戻ったら、方々のスタッフの世話になりながら生活することになるのは目に見えている。マンパワーに限界もあり、悲しいがこれも現実と見つめていかなくてはならない。

インフルエンザにかかる→肺炎で緊急入院→廃用症候群でリハビリ病院→認知症進む・リハビリ効果限定的→施設の介護フロアに引っ越しする。このプロセスで、明らかな選択の誤りはないと思う。入院しなければ死んでいただろうし、リハビリをせずに自立型に戻る可能性はゼロだった。今の状態では、手を借りずに自立型にもどることは厳しいだろうと思う。

父親も介護フロアに住むのは「あそこは人生の終わりだ」と拒否していたけれど、いまや認知症で、入院1か月で前住んでいた場所も忘れてしまっている。川の流れのように、逆流することはできないんだろうと思う。

年老いて、不慮の事故や病気がきっかけで、自己決定ができず、ただ生きているだけの状態に急激に立たされる現実に絶望的になり、「やりたいことをいまやっておくべきなんだ」と、心の底から実感させられる。だらだら生活しているけど、いろんなことに言い訳しているとわかる。躊躇せず、お金や時間を言い訳にせず、ただ生きるというより、命を燃やすということを意識したほうが良い