アナーキストという言葉は、ミュージシャンや芸術家なんかに比喩として使われることがあるから言葉のなじみはあるけれど、思想家・実践家として本物のアナーキストにはそうそうお目にかかれない。やけになって政府転覆、テロを指向するものすごく危ない人というイメージしかない。
作者は、僕の4歳年下で40代、アナーキスト研究家で、自らもだいぶアナーキスト寄りの考えをお持ちだと思うが、アナーキストというのは純粋で夢想家でお子さま思考らしい。彼女からはいい加減に現実を見て働けと言われ、友だちからは言いたいことは分かるけど大人になれよと言われ、それでも自分の筋を通して、野良猫のきたろうとたわむれながら、週1日だけ大学の非常勤講師として働いて、年収200万円で生活する。本人は選んでそういう生き方をしてるわけだけど、アナーキストもほのぼのしたアンダークラスみたいに映って、危険人物のにおいが全くしない。
アナーキズムは無政府主義というよりも無支配主義、奴隷制のような支配関係をとことん否定して、対等の人間関係(=相互扶助)、それか個人のパワー(=自発)、を重視している。金持ちが札束で貧乏人の頬を叩いて支配する資本主義システムも国家も民間企業も大嫌い。理想は大航海時代の海賊。
アナーキストの主張が通って、資本主義と労働(=奴隷制)から私たちが解放されるとは思っていないけど、知らないうちに染みついていた、資本主義に毒された考え方を中和するのにはとても役立つ、ピリッと辛い飲み薬のようなものだと思った。自分の思い込みや考えを真っ向逆転させ、無化できるパワフルなツール。だから本を読んでいるとアンダーライン引きたくなる箇所がたくさんある。自分の凝り固まった脳みそをリフレッシュしてくれるメッセージばかりだ。
「私が人間として真に自発を感じるとき、そこに目的なんてありはしない。理由なんてありはしない。なにかのためでなく、誰かのため、自分のためでもない。自らの意思を超えて必然的にやってしまうもの」
アナーキズムからしたらこんなつまみ食いみたいな捉え方邪道だと思うけど、アナーキズム原理主義と資本主義の中間地点をバランスよく考えることは出来ないんだろうか。それはアナーキズムを否定してしまうことになるんだろうか。一つ一つのモノの見方は新鮮なんだけど、本全体を通すとどうも賛同できない、一歩引いてみてしまう。
本の最後の方になると、ラッダイト運動やロスの暴動などを肯定して、夢見心地でいっしょに機械を壊そうと誘っていて、気持ちが高揚するというよりも醒めた目で見てしまうのは、僕が資本主義に完全に飲み込まれた時代しか生きていないからじゃないかと思う。思想の力を信じられない。
この記事を書いているときに、ロシアがウクライナに軍事侵攻したというニュースでもちきりになった。アナーキズムで国を守れるのか、無支配と個人の自発意思、相互扶助で敵国を撃退できるのか想像してみたがどうも無理そうだ。いくら個人の士気が高くても戦略・戦術なく出たとこ勝負で戦うんじゃなあ…アナーキズムってなんか非常事態のイメージがあるけど、どうやら平時に役立つ思想だと思いました。筆者はこういうのを危機の資本主義といって、危機に陥った時こそ資本主義・支配原理しかないと恐怖に駆られてしまう、支配の究極原理だと言っています。自分の思考のパターンを疑え。