ひとり言

同じ人でも常に変化している

日々、本能のおもむくまま、気持ちのおもむくままに生活していると、人間って、同じ人の形はとっていても、ものすごく変化しているんだなということを感じます。動的平衡を維持するというのは大変なことなんだろう。

痰がからむと思ったらいつの間にか良くなっていたり、ずっと電気毛布は3だったのに、急に熱く感じて、1じゃないと汗かくようになったり、ブログを書くことを習慣にしていたのに急に興味がうせてしまったり、欠かさず続けていたお墓参りや仏壇のお水交換も何日もそのままにしてしまったり。一生の趣味になると信じてきたクルマだって、今や半ば義務でSNSを眺める程度。

人間は習慣の奴隷とよく言われますが、だいぶ無理をした言葉だと思う。毎日決まった時間に集合して、鋳型にはめこまれたような画一的な能力を求められるようになったのは、産業革命以降、工業生産が勃興してからだ。農業が主要産業だった時代は、いまよりも適当かつのんびりした日々を過ごしていたに違いない。農業以前の狩猟時代は、さらに適当な日々を過ごしていただろう。お腹がすいたら狩りをするし、そうでなければのんびりしている。習慣なんてどこにも見当たらない。認知症を恐れて頑張って予定を埋めたりすることもない。