見た目・健康

老化とその対処について

昨晩、バームクーヘンを食べようとしたところ、右下の奥歯がポロッと取れてしまった。この歯は、歯茎が下がってしまっていて、ときおり化膿したり、ものを嚙むときも硬いものは避けていたので、このタイミングを機に抜歯して、インプラントに切り替えることにした。

若いときには当然だったことも、歳を取ると維持することも難しくなってくる。ほっとくと腹は出るし、尻の皮膚は垂れ下がって、手の甲は乾燥とシワがひどい。運転していても夕方以降は目がかすむし、とっさの判断に脳内が空白になることもある(これは恐怖の体験だ)。五十肩もAGAも30代の自分では想像すらつかなかった。この1,2年で老化を意識することがずいぶん増えたと思う。

加齢というのは、若年から中年、老年へと切り替わる、別フェーズへの移行と捉えていたけれど、こと身体の機能について言うと、老化によって衰え、醜く劣化しているだけ。フェーズ移行という対等の関係ではなくただの劣化で、それをかっこよく言い換えてはいけないと思う。物事にはいいこと悪いことの両面があるというのが持論だけど、身体の老化は悪いことがほとんどだ。

自分はなぜ見た目の若さを維持することに執着しているんだろう。時間とお金という資源を突っ込める前提があって、それを車や女、酒、グルメではなく、自分に投資したいと思うマインド。見た目を劣化させずに維持したいという自己満足、周りからも若く見られたいという希望。太りたくないという気持ちなんて、ちょっとした強迫観念だ。あとは奥さんの影響が大きく、彼女の美容についての知識・経験にだいぶ勇気づけられている。

自分の身体を、見た目(肌、髪)、運動機能(筋肉、関節)、認知機能(脳)、内臓と分類していったとき、興味深いのは、最後の内臓の健康についてはまだ投資していないこと。見た目はもちろん、パーソナルジムや五十肩の治療など運動機能も気を付けているし、認知症や脳の廃用性委縮が怖くて、散歩したり発声したり、脳をはたらかせる努力はしている。一方、人間ドックは受診せず、老人病になることには無頓着だ。まだ病気になっていないから無頓着になれるんだろうし、自分の価値観からすると、歳を経るにしたがって内臓の健康も重視することになるんだろう。見た目だけ重視せず、今年はこの分野についても見つめなおしていこうと思う。