6年前のほぼ同じ時期に噴火があったことを直前に知り、慰霊登山かなと思いましたが、実際に登ってみたら信仰の山というより、御嶽山それ自体の魅力に取り込まれました。
御嶽山はアルプスの山並みと一線を画し、一山のみ離れ、大きく堂々とした山容です。山頂は広大で、それぞれピークが剣が峰、摩利支天、継子岳と名付けられています。過去大規模な噴火があったことを思わせるように、すり鉢状に大きくくぼんだ場所には池ができていて、一番大きな池は三ノ池と名付けられています。
ロープウェイを降りてからずっと一直線の急登で、登山道は広く掘り込んであり、丁寧に木の階段が据え付けられていて、人が徹底的に関与していることを示唆しています。八合目の女人堂からは無数の石板の後ろに紅葉が見えました。
御嶽山最高峰の剣が峰、最も驚いたのが重機が入り込み復旧作業が行われていることです。3000mの高所に重機?ドドドドと下界の工事現場と何変わらぬ音、工事で出るゴミが散乱していて、剣が峰は信仰の山、慰霊の山、と同時に人が自然を改変する場所でした。
二ノ池ヒュッテは、荒涼たる岩場の剣が峰、その先に緑をまとって立ち上がる摩利支天の中間点にあります。夕方から冷え込み、フリース、パーカー、持参した服をすべて着込んで、布団にくるまって、風邪薬を飲んで身体を温めてようやく寝付けました。翌朝はそれを裏付けるかのように、大きな霜柱、池は半分凍結していました。朝焼けの紫色の遠く、北アルプスがシルエットとなり、槍ヶ岳の姿が小さく見えました。
摩利支天、名前の通り人を拒絶するような鋭いナイフリッジです。剣が峰側は鋭い切れ落ち方をしていて、そこをずっと歩いて最高点まで向かうのですが、継子岳側から摩利支天を眺めると、御嶽山らしいゆるやかな斜面で、つまり山は見る場所によって二面性を持っているわけです。
見渡せる大きなクレーターの淵を歩きながら、継子岳のピークを目指します。クレーターの斜面は一面ハイマツの緑で、丈が低いだけに穏やかな牧草地帯のようにも見えます。継子岳が御嶽山の最北端のピークにあたり、そこから見る剣が峰は、3000mの山の頂上に圧倒的な質量でもって、人によって作られた難攻不落の要塞のごとくです。
継子岳まで足をのばす人は少なく、ほぼひとり歩きとなるので、御嶽山を体で感じながら、高山らしい岩の山道をゆっくり楽しみながら進んでいきます。継子岳からの帰り道はクレーターの底の部分まで下りていきますが、そこまで行ってこの噴火口がどれだけ大きいのかがわかりました。
いったん登り切ってしまうと、そのあとはずっと2800m近い高所を歩き続けるため、何しろ息がすぐ上がり、直射日光もきつく、この時期なのに半日で肌が赤く焼けます。一方で眺望を遮る樹木は一本も存在せず、付近にある山々はすべて睥睨するかの如く、上空を流れる雲ですら、自らの下を流れるのみ。天空のテーマパークといってもいい場所でした。