日常あれこれ

義弟の飼い犬を看取った

何回か散歩に連れて行ってあげたくらいの間柄だったけど、義弟が飼っていた柴犬を看取ることになった。そのくらいの関係なので、あまり悲しいとかペットロスなんてこともなく、ただ思ったのは、「死ぬのにふさわしい時」というのはあるんだな、ということ。

先月の義弟の結婚を見届け、これから夫婦の新生活が始まるその時、共働きで老犬の介護も大変で二人とも半分ノイローゼになっていた。引っ越しもしたいだろう、新婚旅行も行きたいだろう、でも犬を放っておいてはいけない。その時期を過たず旅立って行けたのは、犬ながらあっぱれな死に様と内心思った。

「武士道とは死ぬこととみつけたり」武士は死ぬべき時に過たず死なないと、生き恥をさらしているといわれ、武士道において最も恥じるべきこととみなされた。現代はいかに健康的に長生きするかについてはあふれんばかりの情報があるが、いつ死ぬか、メメントモリ「死を想え」、についての情報は表に出てこない。

いま生きているというのは、今は死ぬべき時ではないと、生かされているということ。赦され生かされているのはなぜか。ここが死に場所だ、いまが死ぬ時だ、というのは直感でわかるんじゃないかと思う。平和な現代で、壮絶な死に場所があるわけじゃないけれども、それが自宅のベッドの上でも、老衰だったとしても、今だな、というサインをしっかりと捉える力は磨いておきたい。